そこからバスは荒涼とした田を行きます。
福島県は、かつては将来住みたい県の上位にあり、
お米やお酒や美味しい農作物の産地として名を轟かせていましたが、
その姿は見る影もありませんでした。
農業は一体どうなるのかと淋しい気持ちで眺めていましたが
会社を立ち上げて雑草取りや除染に精を出しておられた渡邊氏は
実験田を作って放射能を調査し、孫の代には農業ができるようにすると
情熱を語っておられました。
翌朝、松川浦をクルージングしました。
船頭さんの名調子も「かつては」が付き、笑いを誘いますが
誰もつられて笑う人はいません。
本来は美しいお国自慢の松川浦も
大津波の凄さを語っていました。
今回のツアーは用意周到された貴重なツアーでした。
南相馬市長の桜井さんとの懇談もあり、
大友農園の訪問や、学校給食栄養士の鈴木さんのお話を聞きました。