廃校になる勝浦市立荒川小学校の児童が、アフガンの学校建設募金に協力!
2006年2月下旬のある日、勝浦市の荒川小学校4年生の君塚拓也君から「アフガンの学校建設募金を送りたい」という電話が入った。
勝浦から何で?どうして・・・?
1年前の讀賣新聞でアフガンに学校づくりを知って校内で募金をしてきたらしい。
きっかけは、市内で読み語りのボランティアをしている小川志津江さんが「世界で一番うつくしいぼくの村」という絵本の読み語りした後に金本(現:取締役会長)が載った新聞記事を見せたら、4年生が中心となって全校に呼びかけて募金が始まった。
そして、寄せられた募金は6,122円。
お小遣いの中から募金した貴重なお金だ。
児童の募金に感激した金本は、アフガンの学校建設や現地の子供たちの写真を見せて上げたいと、3月8日に夫婦共々勝浦市の荒川小学校を訪問した。
荒川小学校は、児童数23名、先生5名。
133年の歴史ある学校だが3月で廃校になる。
校舎は木造平屋建てで、外壁も板張り、廊下も天井も古い。
校門の石柱も年代物らしくシンプルで昔の学校そのままだ。
しかし、そこには素朴さと懐かしさが漂っていた。
教室の窓ガラスの『ありがとう さようなら 荒川小』という文字が涙を誘う。
金本の話に真剣に聞き入る子供たち、自分たちの学校は廃校になるが、アフガンに新しい学校ができる。児童は募金の意味を知り、募金の実感を噛みしめる。
1時間のアフガンの話が終わり、児童からの感謝の言葉が続く。
最後に、金本婦人が持って行ったお菓子を全員に配り報告会は終了した。
同行したカメラマンがその様子を撮影し、読売新聞の藤田記者が取材をした。
金本は「子供たちに善いことをしたと実感してもらう事に意義があった。
自信を持ってもらいたかった。
その為に記者とプロのカメラマンに内容を話して同行してもらった。
後日、記事になった新聞を見て、子供たちは自分たちがした事の意味を分かってくれると思う」そして、「学校の歴史が終わりを告げようとした瞬間の写真は、子供たちが大きくなった時の思い出に」と語る。
たった、6,122円の募金だったが、ドラマが生まれた。
感動が生まれた。
その意味は大きかった。
荒川小学校を訪ねた金本と婦人、そして、記者とカメラマン。
それぞれの目的を果たした4人の顔は、勝浦の青い空と穏やかな春の風に包まれて爽やかだった。
旧校舎の授業風景
私たちが第1の校舎を建設したのはアフガンの首都カブールから約10km南にあるカライ・ワジル村の学校です。
当時は学校として使用されていたのは、戦火を逃れて移住し、空き家になった民家を使用してました。
6歳から18歳の子どもたち約2,200人が、椅子も机もないところで3交代で勉強しています。部分的に
窓や壁が崩れ落ち、狭いため屋外を授業を受ける子どももいました。
しかし、持ち主が帰国したため、返還しなければならなくなっていたのです。
このままでは2,200人が学校を失ってしまう・・・そこで隣接する約2000uの国有地に新しく
校舎を建設することになったのです。
カブールの子供たち
カブールの人口は253万6千人(2006年推計)。日本で3番目に人口が多い大阪府(263万人、2006年)とほぼ同じという大都市です。年齢の比率は分かりませんが、街の中で元気に走り回るこどもたちを随分見かけました。孤児も多く、病気や怪我を抱えている子どももたくさんいます。それでも彼らの目は純粋で、こちらを見つめ返してくる視線に心を打たれました。
カブールの街
3000年の歴史を持ち、文明の十字路ともよばれたアフガンは、その位置ゆえに歴史上何度も激しい戦火にさらされてきました。首都カブールは国際空港もあり都心部には近代的なオフィスビルやホテルもありますが、少し郊外へ出ると砂漠地帯の中に戦争の傷跡を残す殺伐とした風景が広がります。建物の多くが崩壊したまま放置されているのですが、それでもバザールには人が集まり、日々の暮らしを営む人々のエネルギーには驚かされました。